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日本の映画会社


大変興味があります。
日本映画界のまじめな話。実は知らないことばっかりでした。


東宝
森繁久弥出演の『三等重役』より、サラリーマンシリーズ、社長シリーズ、駅前シリーズが大ヒット。東宝の経営を支えた。今井正監督『また逢う日まで』(1950年)、『純愛物語』(1958年)、ヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞した稲垣浩監督『無法松の一生』(1958年)、成瀬巳喜男監督『浮雲』(1955年)、岡本喜八監督『独立愚連隊』(1959年)などの秀作やヒット作も生み出した。また東宝争議により一時東宝を離れていた黒澤明は、『生きる』(1952年)を皮切りに、『七人の侍』(1954年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)などの傑作にして大ヒット作を連発。だが、莫大な制作費をかける面もあって、1959年、黒澤プロダクション発足する。その後も東宝とのパートナーシップは続いた。『七人の侍』も公開されていた1954年には、ゴジラシリーズがスタートし、1975年まで続くドル箱シリーズとなった。以降、小田基義監督+円谷英二特撮監督『透明人間』(1954年)、本多猪四郎監督+円谷英二特撮監督『獣人雪男』(1955年)、など特撮作品でヒットを飛ばす。東宝映画1000本の記念作品は特撮映画で、稲垣浩監督+円谷英二特撮監督による『日本誕生』(1959年)だった。


松竹
大庭秀雄監督による『君の名は』(1953年 - 1954年)を筆頭に、今井正監督『にごりえ』(1953年)、『キクとイサム』(1959年)をはじめ文芸作が大ヒット。小林正樹監督『人間の條件』(1959年 - 1962年)ではヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞、パシネッティ賞など、海外で評価を集めた作品も手がけた。さらに福田晴一監督・伴淳三郎出演『二等兵物語』など、松竹がお得意とする喜劇作品もヒットした。木下恵介監督が『二十四の瞳』(1954年)、『野菊の如き君なりき』(1955年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、『楢山節考』(1958年)などの名作を連発し、小津安二郎監督も『麦秋』(1951年)、『早春』(1956年)、そして「日本映画の最高傑作」とも評される『東京物語』(1953年)などを発表した。


日活
1953年の製作再開以降、市川崑監督『ビルマの竪琴』(1956年)などの文藝作を制作していた。五社協定により有力なスターを他社から引き抜けないため、石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、赤木圭一郎、宍戸錠、二谷英明、川地民夫、待田京介、和田浩治などの自前のスターを作り出し、若年向けの青春映画や無国籍アクション映画を製作?配給した。なかでも古川卓己監督『太陽の季節』(1956年)、中平康監督『狂った果実』(1956年)、井上梅次監督『嵐を呼ぶ男』(1957年)、田坂具隆監督『陽のあたる坂道』、蔵原惟繕監督『風速40米』(1958年)などの石原裕次郎主演作が一世を風靡する。川島雄三監督『幕末太陽伝』(1958年)などのカルト作品も残している。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月24日 20:00に投稿されたエントリーのページです。

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